2011年11月7日月曜日

「ソーシャルメディアコンサルタント」というワードが揶揄的な意味を含有する現状について



「ソーシャルメディアコンサルタント」という言葉・職業については、
これまでもなんとなく漠然と考えていましたが、
バーソンマーステラの熊村さんの一連のブログを読んで、
悔しいけど、現実の問題をズバリご指摘されて、
今一度改めて考え直したいなぁと。そして記録として残しておきたいなと。

つまり「ソーシャル メディア上でコミュニケーションを取る」というコトには長けていても、肝心の「マーケティング」に対する意識であったり、最低限求められるであろう知識や実践経験が伴っていないというケースが多いのではないかと思うのだ。つまり、現場レベルのオペレーションだけで「コンサル」をしてしまうから、ソコに必要な戦略であったりといった必要なモノがごっそりと抜け落ちたまま、言及されずに終わってしまっているように見えてしまう。

ソーシャル メディアについてコンサルするというシゴト より


「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンク出来ているか?
この熊村さんからの強烈な問いかけに対して、
自分は正直現時点では自信をもって「YES」と応えられないのが現実です。


では、そもそもマーケティングとは何か?
ボクなりの結論は「人を科学する」という事ではないかと思っています


気まぐれで感情に動かされて、非合理な判断もしてしまう「ヒト」という対象は、
どんな行動特性があるのか?
そこを科学した上で、論理的に価値を伝えても伝わらないヒトに対して、
そのような行動特性を逆に利用してして、どのように価値を伝え、
彼らのパーセプションを変えるのか?


難しく聞こえるかもしれないけど、実は僕達の身近で実践されていて、
家電量販店の20%ポイント還元然り、
マクドナルドで100円マックと高額ハンバーガーが販売される事然り、

最近突如として現れてきた感がある、ゲーミフィケーションという概念も
上記のような人間の感情や行動特性を巧みに生かしたゲームのメカニズム
を応用していく考えだったりなのかなと。


そうやって「ヒト」を科学していくことは、
「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンクさせる
ヒントになるのかなと思っています。


例えば、この仕事をしていると、頻出するキーワードに
「エンゲージメント」「共感」があるが、
熊村さんもご指摘のとおり、安直に使われている感は否めないと思っています。


これについては、以前共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」というブログでも、こんなことを書いてました。

そもそも共感という感情は、感情の発生起源を辿ると、最後発の感情で、そう簡単に発生する感情ではなかったりします。更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、一時的なお金の流れしか形成されず、コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい
それを分かった上で、それでも共感という感情に訴えねばならない理由は何か?
どのようなパーセプションを変えるために共感が必要なのか?
そこを考えるのがマーケティングなのではないかと思っています。


さらに、共感が生物学上発生しにくい感情なのであれば、
圧倒的な世界観を形成する必要があって、
その世界観形成にはソーシャルメディア「だけ」で完結しないケースも
当然でてくるだろう。
では、それに必要なものは何か?
そして、そこでソーシャルメディアが果たす「役割」は何か?
それもまたマーケティングなのではないかなと。



「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンクさせる
ボクなりの解は、ヒトを科学するですが、
これが正しいとは思っていないし、色々な解があって然るべきだと思っています。
もし、「それちゃんちゃらおかしいよ」「これもアリだと思う」など、
ご意見やご指摘がありましたら、
是非twitterFacebookにご意見を頂けると嬉しいです。

2011年10月24日月曜日

facebookが次の次の次くらいのF8で発表する内容はこんな感じドヤッ


関係者から話を聞いたとか、信頼できる情報ソースがあるとか、
そういったことは全くなく、もう完全に個人的な妄想です。
でも妙に自分の中では「そうなるんじゃないか」って思ってます。
いわゆる根拠の無い自信ってヤツです。

エクスキューズはこれくらいにして、
facebookが次に狙う領域はヒトが言語化できない思考の可視化

だと思っています。


今年のF8ではタイムライン等の機能が発表されました。
昨日の詳細等については他のブログに譲りますが、
熊坂氏はブログにて、タイムラインのことを以下のように表現しています。

これはもはや単なる「プロフィール」ではなく、自分の人生のストーリー、あるいはヒストリーそのものだ。好きな音楽、映画、テレビ、本、ゲーム、関連のある場所を記した地図などのアプリ、日々アップする写真やストーリーが、重要性に応じて配置される。それらのコンテンツは時系列にアーカイブされていき、スクロールダウンすることで、最後は生まれた時までさかのぼれるのだ。
マーク・ザッカーバーグが発表した新しいFacebook(2011 f8まとめ) 

今回のタイムライン等の機能が本格的に実装されたら、
過去を含めた言語化出来る人間の思考は、

ある程度の規模可視化出来るようになります。
そうなると、「もはや」次に狙う領域は、
言語化できない無意識の思考の領域しか
「残っていない」気がしています。

そもそも人間の思考のうち、自分自身が認識できる思考って

実は僅か5%で、言語化できる思考は、その更に5%前後。
要は人間の思考のほぼ100%は表層化されない無意識で、
この膨大な手つかずの未知の領域は、

DB化できればドル箱に化けるポテンシャルがあると思います。


なぜこの領域はドル箱のポテンシャルがあるのか?
例えばマーケティングリサーチ。
マーケティングリサーチには大きな落とし穴があって、

仮説に基づいて集められたデータは、
その仮説を肯定する結果にしかならないということです。


表層化される思考は、何が思考の顕在化の引き金になったかで
決まるので、例えば質問の配列・順序の違いによって
調査結果が全く異なるという現象は数多くあります。
つまり、人間の言語化できる思考に頼ってリサーチしているうちは、
リサーチャーの仮説が正しくない限り、
消費者インサイトは捉えることは不可能ということです。


そこで、もしFacebookが無意識の領域をDBとして手中に収めたとして、
マーケティング領域に関わる人が、
そのDBを欲しがらない理由がない気がしています。


そう考えると、無意識の領域は割とドル箱の領域であって、
認識・言語化できる思考を手中に収めつつあるFacebookが、
無意識の領域の可視化に挑戦することは、
結構自然な流れのような気がしてきていますドヤッ

2011年10月17日月曜日

事実を「つくりあげる」脳ミソとマーケティングの付き合い方


先ずは上の絵を見てください。何が見えますか?



おそらく愛しあう二人の男女が見えてくるのではないでしょうか?
しかし小さな子供がみると、9頭の(小さくて黒い)イルカが見えます。
なぜか?
それは理由は愛し合うカップルの概念が彼らの中にないからです


上記の例は、
「我々は、無意識のうちに、ある物事に関する判断をつくりだす際、
別の刺激に基づいた判断を用いる」現象を表す一例です。
この事をハーバード大学の物理学者のジョン・ダウジング氏は
このように表現しています。
どうやら私たちの視覚システムは、網膜へイメージを伝えるだけではなく、視覚的記憶や経験を統合して、世界を整合的に見るようにするようである
 そして、その別の刺激とは、必ずしも事実であるとは限らず、
脳が「勝手に」「つくりあげた」事実が刺激となることも多々有ります。

無意識に・・・
例えば偽薬の鎮痛剤を手術後に投与された場合、
偽薬投与をうけた患者の約50%が、本物の治療を受けた際と同じ回復をします。
これは患者の自己申告ではなく、生理的な状態を観察した結果です。

このような無意識の作用は現在研究が始まったばかりで、
捉えどころがないのが現実です。
しかし消費者は自分の経験(時には事実と異なる錯覚すら)という
取るに足らない情報によって、商品・サービスに付加価値を与えたり、
ブランドへの反応に影響を与えます。

事実消費者は自分の好きなブランドの飲料を口にしていると認識すると、
彼らはその消費経験に対して、口当たりの良さやリラックス感などの
追加的な価値を付け加えますが、所謂ブラインド・テストにおいては、
ブランド名が参加者の思考に影響を与えないため、
こうした価値は付加されません。

であれば、こういった無意識が、如何に意思決定に影響を与えるか、
デザインやロゴといった外観的手がかりが消費経験に与えるインパクト、
などなどを研究する価値はあるのではないかと思います。
(具体的な方法論については、鋭意研究中なので後日・・・)


2011年10月11日火曜日

「広告は引き算である」



「広告は引き算である」

昔、ある人から教えてもらった、言葉。
やっぱりこれだなと。

この1ヶ月近く、勝手に1人で考え込んで、もやもやして
ブログが書けなくなった先にたどり着いた答えが、
この昔、ある人から教えてもらった、この言葉でした。


「人はひとつの球しか受けきれない」
広告とかコミュニケーションに関わる人なら、
なんとなくどこかで聞いた事があるようなメタファー。

これってやっぱり真実だなと改めて思います。
なぜなら
「人間の根本は、そんなには変わっていない」
もっと言えば、人間は「進化したサル」に過ぎないから。


人間の思考プロセスの95%はサルとかその他の生き物とかと同じで、
何も考えず、遺伝子的が勝手に「反応」しているに過ぎない。
残りのたった5%で、熟考したり、人間を人間たらしめている。

つまり「人間は自分が考えている程高度な生き物ではない」
ということで、先程のメタファーだと、たくさんのボールを受けきれるほど
賢い生き物ではないという事なんだと思います。

少し蛇足になりますが、「人間は社会を形成した高度な生き物」
と言われる事がありますが、
人間が社会を形成したのは約600万年前で、
この600万年という期間は遺伝子の変種を含む進化の過程としては、
十分な時間ではないそうです。

だから1つの球を受けられるように、引き算しないといけないと思うわけです。
コミュニケーションにしても、商品そのものにしても、
基本足し算的な思考の世の中だからこそ。

それを体現してくれたのが、アップルであり、ジョブズだと思います。
日経トレンディの対談にもでてくるんですが、
彼らは、ファンクションではなく、「生活がこう変わる」という
「何を」変えたいかに徹した。
だからこそ、マウス然り、タッチパネル然り、徹底的に排除できた。
だからこそ、みんながエンジョイできる、人の拡張機能としての、
本当の意味での「パーソナル」コンピュータを開発できた。
ツール、道具としてのパーソナルコンピュータではなく。

みんな感動するものは感動するし、心に刺さるものはみんな刺さる。
多少の差異はあれど、根本的に共通するところは絶対にあります。
そういう根本というか、原始的なところを
徹底追求すればイイんじゃないかと。シンプルに。
寧ろそれが出来ていないから、分衆とかセグメントとか
難しいこと議論するんだと思います。
もっとシンプルに。引き算思考で。(自戒をこめて)

2011年9月18日日曜日

時代遅れの脳みその為の消費のクリエイティブに必要な事は、みんなトライバルメディアハウスが教えてくれた

どこかで聞いた事があるようなタイトルですが(笑)

人間の脳みそや人体って、「まぁ食ってはいけるよね」という
時代に形勢されて、
そこから本質的な所は変わっていなくて、
冷蔵庫に食べ物を保存する程、過剰にモノや金が余る事は
想定されてなかったから、
その余り物をどう使えば良いのか
分からなくなっているのが現在で、
だからこそ今「消費の」クリエイティブが
求められているのではないかと思っています。

流通や貯蓄の発明など、所謂「生産」の発明ではなくて。


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人間は本当にその頃から変わっていないのか?
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アメリカで「なぜリーマンショックが起こったのか」議論が起こった際に、結論の1つとして「マネーイリュージョン」と
結論づけられたのはその象徴だと思ってます。


 マネーイリュージョンとは何か?
たとえばインフレ率が2%で、お給料が3%上がると、1%の得
反対にデフレになったときに、
デフレで物価が3%下がったからお給料2%下げますと聞かされたら、
実質はまったく同じ1%の得なのに、世界中どこで実験しても、

前者が良いと答えてしまいます。

理屈ではわかっていても、人間の頭では、
本能的に給料が上がったほうがいいと考える。
脳にとって、直感を司る右脳にとって、「快か」「不快か」だけで、
理屈や計算が全く働かない状態で、

直感で物事やが判断されてしまう。だから、
サブプライムという人間の脳みそでは処理しきれない

複雑な金融商品が、「本能によって」取引されるという結果に
陥ってしまったと、結論づけられています。


これは石器時代の人間の判断基準とほぼ変わらなくて、
例えば動物の死骸が転がっていたとして、
「うまい肉が転がってる」と思うと脳が快感を感じるし、
「もしかしたら腐ってるかもしれなくて、そして死んでしまうかも」と思うと
脳が不快になる。結局両者のバランスで食うか否かの判断していて、
当時の思考回路とサブプライムを買う人間の思考回路は
さほど変わらないと言えるかと思います。

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脳みそは今の「余剰の時代」についていけない

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上記のような人間の思考回路が形成された当時は、
どんな時代かと言えば、150人位の集団を形成し、
全員の食料ぐらいはまぁなんとか確保できるよねっていう時代。
現代のように、冷蔵庫にものを保存する程食材が余るという事態を

想定していない構造になっています。
脳みそに感情があったとしたら、間違いなく混乱している状態。
だからこそ、今は消費の「仕方」のクリエイティブが求められてるんだと思ってます。


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消費のクリエイティブで必要なことは、みんなトライバルメディアハウスが教えてくれた
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消費のクリエイティブで必要なことの結論としては、
ミラーニューロンを働かせることなんじゃないかなって思います。

ミラーニューロンとは動作や感情をコピーすることができる

神経細胞の事で、簡単に言ってしまえば、相手の立場で考えられる神経。 今回の話で言えば、とことん消費者の立場で考えるという事かなと。

すっごい当たり前すぎる事ですが、
買う側の気持ちを忘れたヒトに、混乱している
消費者の脳みそを理解し、
購買させる仕組みを構築出来るはずがなくて、
これが忘れられている場面に遭遇する

機会が非常に多い気がしています。(自戒を込めて)
会社に入って始終、モノを売ることばっかりを考えていると、
モノを買う時の事を忘れるんじゃないかなと。



例えばFacebookページを立ち上げたいというご要望を頂いた際に、
「ファンと会話をしたい」という事を言われます。
ただ1人の消費者としての感覚で考えた際に、
自分がファンと言える商品・企業が果たして幾つあるか?

個人差はあるかと思いますが、ボク個人が思いつくのは「アシックス」くらい。

それも陸上に明け暮れていた時代、靴を特注をしていて、
その職人芸とも言えるプロフェッショナルな仕事ぶりを目の前で見ていたという
特殊な体験があったからこそ。
さらに仮にアシックスのFacebookページがあったとして、
そこで自分がアシックスについて会話をしたいかと言われると、そうとも限らない。

「では、そいいう低関与な消費者という事を前提にして
どのようなマーケティングコミュニケーションを考えるべきか」
そういう1人の消費者として当たり前の感覚を維持しながら、
マーケティングコミュニケーションを考える事。
トライバルメディアハウスに転職してもう直ぐ1年になるが、
この事は徹底的に教えてもらったと思います。
そしてそのことを忘れない為に、トライバルメディアハウス20訓の1つに
「人の二倍働き、人の二倍遊ぶ。全てが仕事で、全てが遊びである。」が
明記されていると、少なくとも自分はそのように考えています。

転職してもう直ぐ1年。最近頭でっかちと言われる事が増えてきたが(笑)
あくまで1人の消費者としての感覚を大事にしながら、
混乱する脳みそと対峙しながら、消費のクリエイティブに挑戦していきたい。
結構難しいテーマだと思いますが、だからこそこの世界がボクはすきです

2011年9月13日火曜日

コスト効率が悪い共感という感情は、ソーシャルメディアによって、 実はコスト効率が良くなっているのではないか




以前
共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」
コスト効率の悪い「共感」という感情をマーケティングに生かす方法を、
記憶のメカニズムから考えてみる

この2つのエントリーで、共感という感情は、コスト効率の悪い感情と書かせて頂きました

共感という感情は、謂わば社会を形成する上で、「やむを得ず」「仕方なく」生まれた感情で、なかなかそう簡単に共感なんてしてもらえない。更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、一時的なお金の流れしか形成されず、コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい。

しかし最近、実はソーシャルメディアによって、
コスト効率は良くなっているのではないかと思っています。


以前までのエントリーですと、どうしても共感という感情を
プランニングする事に対して、ネガティブなイメージを持っている印象がありますが、
決してそんな事はなく、マーケティングに活用できるケースは、
多いと考えています。

例えば・・・
記憶は検索する手がかりが何かによって、思い出す事それ自体を変えてしまう
という現象によって、共感という感情をマーケティングに生かす事が可能です。
それを証明するのが「Feel-Goodペン」という実験です。
被験者は二つのブランドのペン(一方が性能的には優れている)について説明を受け、性能の悪いペンのブランドがポジティブなものと組み合わせられた画像を見せた後、どちらかのペンを選んでもらうという実験では、その画像を見せなかった場合、ほぼ確実に性能のよいペンが選ばれたのにに対し、その画像を見せると70-80%の確率で性能の悪いペンが選ばれた。
共感によって、上記のような効果を獲得出来るのであれば、
そう簡単に共感なんてしてもらえないかったとしても、

そこを狙いにいく価値はあると思います。


また前回のエントリーで、記憶のメカニズムについて書かせて頂きました。


人の記憶は既に保存されている記憶の内容に関連性が高い情報ほど、記憶を上書き保存し、上書き保存される記憶ほど忘れてはいけない記憶、「長期記憶」として脳が認識する

ソーシャルメディアが、様々な記憶の上書き保存の材料を
引き連れてくることによって、
人間の長期記憶化に貢献しているのではないかと思っています。

以前さとなおさんがブログにて、ソーシャルメディアの事を
以下のように表現していました。
なんというか、ソーシャルメディアって「関与する(コミットする)タイプの人がつながることができるプラットフォーム」なのだと思う。そこに当事者意識が生まれ、社会が実際に動いていく。ソーシャルメディアの一番の意味はそこにあると思う。「関与する生活者」が集まる装置こそがソーシャルメディアだ
関与する人がつながる事で、単にその事象に対しての共感だけに留まらず、
つながった関与する人の「顔」も記憶の長期化に貢献するであろうし、
つながりによって社会が動く事で、
記憶の中にある
既存のファクトとは、別のファクトも記憶され、

記憶の長期化に貢献するのではないかと思っています。


これ証明するような実験結果ないかなと
探してみたけど、見つけられませんでした(┬┬_┬┬)
ゴメンナサイm(_ _)m
これに関連する実験結果があれば、是非とも教えて下さい
よろしくお願いします

2011年9月5日月曜日

ソーシャルメディアを使った「個」へのサポートが現実的ではない組織にとって、「行動経済学」は現実的な解決策に成り得る?


タイトルずばり結論です。


ソーシャルメディアの登場によって、課題は未だまだあれど、
色々なものが可視化されるようになりました。

その人の潜在的な興味・関心をはじめ、その人のつながり、影響力・・・・
仕事の関係上、こういうものを可視化するツールを幾つか使ってますが、
「へぇ~」と思うことまで、割と可視化出来てしまう。



そうすると、当然の流れではあるんですが、
可視化された「個」に応じて、メッセージを届けたり、
個のサポートをしたいというニーズがでてきたりします。


そして、smashmediaの河野さんが仰るように、
確実にそういった事の重要性は高まってきているのは事実だと思います。
現代マーケティングでは「じょうご」モデルは厳しくて、消費者はけっこうギリギリまで候補をしぼりこまないばかりか、購入直前でさえしばしば決断を変えるし、ブランドとの信頼関係が築ければ(つまり支持者になれば)次回以降は選択プロセスを経ずに再購入する、という話。つまり、いわゆる「タッチポイント」の重み付けが変わってきているという話でもあって。
 ただそういった事を企業が直ぐに実現できるかと言われたら、
必ずしもそうではなくて、そこで二の足を踏んでいるケースも
現場では数多く発生しています。

そういった企業にとって、行動経済学の考え方は、
現実的というか、実践的なのかなと。

行動経済学の基本スタンスは、
「人間の根本は、そんなには変わっていない」
もっと言えば、人間は「進化したサル」に過ぎない
うまいものはうまいし、キレイなものはキレイである。
そこはある程度共通点があるという考え方で、
細分化したターゲットだ、セグメントだっていうところに走らず、
その分人間はどうすれば共感するのか、魂が揺さぶられるのか
という原始的な、根本的なところを徹底的にロジックにしていく。
そうすれば多少の差異はあれど、ある程度、共通して人の心に刺さる
「何か」がうまれるという考え方だとボクは理解しています。


この辺の話については、
是非糸井さんと行動経済学者のルディーさんの対談を是非読んで頂けると
イイかなと思います。
もっとシンプルに考えてイイと思うんです。


ほぼ日刊イトイ新聞 - ルールを原始的に。 ルディー和子さんと、お金と性と消費の話。


ソーシャルメディアで実現出来ることを推進していく事も
大事な仕事ではあると思います。
ただ、リソースの問題であったり、諸々の社内事情であったりで、
推進したくても、それが難しい企業も多いのが現実であれば、
代替案を提示する事もマーケティングに関わる人間として、
重要な役割かなと思って、こんなエントリーを書いてみました。


追伸ブログのタイトルを変更しました。
もっと行動経済学という所に軸足をおいて、
ソーシャルメディアとは何か?
それは人間のどのような根本要求に基づき、何を刺激するものなのか?

そして、人を変えうるものなのか?
初心者なりに研究したいと思って、こんなタイトルにしてみました。
ちなみに、なぜ「進化した類人猿」なのか?ですが、

行動経済学の基本スタンスが、
「人間の根本は、そんなには変わっていない」
人間は「進化したサル」に過ぎないだからです

2011年8月22日月曜日

コスト効率の悪い「共感」という感情をマーケティングに生かす方法を、記憶のメカニズムから考えてみる

以前共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」というエントリーを書かせて頂いたところ、色々なご意見を頂き、またある貴重な機会も頂けそうで、ちょっとした転機になりました。ありがとうございます!

そのエントリーでこんな事を書かせて頂きました。

共感という感情は、謂わば社会を形成する上で、「やむを得ず」「仕方なく」生まれた感情で、なかなかそう簡単に共感なんてしてもらえない。
更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、一時的なお金の流れしか形成されず、コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい。

今回は上記の点を踏まえた上で、
コスト効率の悪い「共感」という感情をマーケティングに生かす方法を
自分なりに考えてみました。

そのヒントは記憶のメカニズムにあると思っています。
記憶のメカニズムの特徴の中に、以下の2つが有ります。


人間の記憶は、出来事の全ての情報やそれに伴う感情が
ひとまとめになって保存されているわけではない

感情が伴う出来事があった場合、出来事のファクトと、
その時経験した感情は異なるファイルに区分けされます。
中学時代のクラスメイトに街で偶然出会い、顔は直ぐに分かったのに、
名前が直ぐ出てこないのはこの記憶のメカニズムが原因です。
そして人間の記憶は、感覚刺激を受けることをきっかけにして、
ファクトとは別に保存されている感情が喚起され、
それに引きずられて関連する記憶が検索されます。



人の記憶は既に保存されている記憶の内容に
関連性が高い情報ほど記憶を上書き保存し、

上書き保存される記憶ほど忘れてはいけない記憶、
「長期記憶」として
脳が認識する
「過去の自分が今の自分をつくっている」という、
80年代を思わせるようなキザな台詞は、脳科学的には事実です。
裏をかえせば、何の記憶もない新しいものを記憶に残す事は

相当困難であるとも言えますが。。。


余談ですが、マーケティングでよく使われるライフサイクル理論は、
ブランド調査、特に長寿ブランドの場合、と整合性が合わない事が
70年代に証明されていますが、上記の記憶のメカニズムが

原因と言われています。


上記2つのメカニズムから、共感という感情の生かし方としては、
記憶の上書き保存の「1つの」材料、
感覚刺激を受け、記憶を呼び起こす際の「1つの」窓口と考え、
必ずしも「共感」を起点に考える必要はないと思っています。

なぜなら何の記憶もないところから、脳内に記憶を残すには、
人間のもっと根本的な感情に訴えかけた方が、
感情としても発生しやすいし、忘れてはいけない記憶として
脳に認識されやすいからです。


ちなみに人間の最も根本的な感情は、不安や恐怖、嫌悪感といった
Negativeな感情ですが、
これらの感情をマーケティングに生かせる商材、場面は限定的です。
なので、これらの感情の次に根本的な感情である
楽しいとか面白いといった感情に初めは訴え、
その後記憶の上書き保存の1つの材料、
記憶を呼び起こすための別の窓口として共感に訴えるというのが
現実的なのではないかと思います。
その点でゲーミフィケーションはもっと研究したい分野です。




何か少しでもイメージしやすい事例ないかなと探してみたら、
Donate this word to UNICEFという面白い事例がありました。

UNICEFの教育プログラムへの認知度を高め、
寄付を集めることを目的にスタートしたプロジェクト。
Google Chrome のスペルチェック機能を使って,スペルミスがある度に”Donate this word to UNICEF”
メニューから寄付を行うことができるというもの





事例については正直結構ツッコミどころが満載だと思いますが、
そういったツッコミや、この事例って面白いんじゃない?というものがあれば、
是非教えて頂けると嬉しいです!


追記
twitterをぼんやり見ていたら、リンクトインなどのビジネスSNSに詳しい
同僚の@taniyangが以下のような事をつぶやいていました。

学術的には共感はされづらい点はありますが、
クリエイティブを少し工夫すれば、全然変わるものだなぁ考えさせられました


Facebookで「向上心がある人って素敵」って書いたら20件近くいいねされた。これを「向上心ないやつってだめだね」って書いてたら共感を呼ばずいいねされなかったと思う。言い方一つで共感を呼べるかどうかが変わってくる。こうやっていかに共感を生むかがこれからの時代で重要だと思う。

2011年8月16日火曜日

企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、ソーシャルメディアコンサルタントのせい!?

先日@Capoteさん企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、40才のマーケティングディレクターのせい?が印象に残り、過去の自分のツイートやブログを読んだりしながら、考えを巡らせ、せっかくなのでその痕跡を残しておこうかなと。

@Capoteさんの記事は消費者と直接つながることが容易になり、
コミュニケーションができるようになった今、
セールスからカスタマーサポート、商品開発や改善のリサーチが
ソーシャルメディアである程度可能となり、
企業のあらゆる側面でマインドセットの更新が求められているが、
企業の役員が状況を理解してないからではないのか?という内容です



色々と考えを巡らせて、少なくとも現時点での考えは、
(すみません。未だ考えがまとまっていないので、
多分かなり流動的です)
企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、
『変化』を強調するソーシャルメディアコンサルタントにも
原因があるのではないかと。


いや、実際変化は起こっているのだと思います。
ハーバードビジネスレビューでも「タッチポイント」の重み付けが変わってきている
という話が書かれたりしています。
ここでは詳細は割愛させて頂きますが、
smashmediaの河野さんのブログがとても参考になります。


ただ、メディアの変化、テクノロジーの変化、人の変化、という事を
強調し過ぎていないか。
(自分への問いかけでもあるのですが・・・)
そこを強調するが故に、
40才のマーケティングディレクターは手をつけられないのではないか
(人間は変化を嫌う生き物なので)



糸井重里さんとお仕事をされている池本孝慈さんのブログで、
メディアやテクノロジーが社会を変容させるのではなく、
メディアやテクノロジーは社会の変化を形にしたに過ぎない。という趣旨の
とても考えさせられる記事があったので、一部抜粋してご紹介しま


作曲家で音楽プロデューサーの小室哲哉さんがこんなことを語っていました。
小室 あえて狙わないほうがいいと思いますよ。以前は、プロの作曲家なら、“狙い過ぎ”の曲ってすぐわかったんです。「サビはCMのタイアップ用で、絶対あとからAメロとBメロつけたな」とか。それが今は“一億総ジャーナリスト状態”で、一般の人もそういうことに気づいている。何かに似ているとか、何にインスパイアされたとか、「そんな細かいところまでわかるの!?」って驚かされます。だからごまかせない。当然ですけどね。90年代までは一般の人が“通”になっているとは感じなかった。みんなが驚いてくれる、喜んでくれるカードを'80年代に僕はいっぱいためてたんです。
ーーーー今、そういうストックは? 
小室 ない‥‥っていうと、何もないのかよ!ってなっちゃいますけど(笑)、今は一度ゼロに戻って作ってるっていうことです。僕はもう自分らしさについて考えているだけ。聴いてくれる人がジャーナリスティックに総評してくれればいいなと。ブログやツイッターでも‥‥‥
引用では、これからの小室さんの抱負として、ブログ、ツイッターが言及されています。 だからといって、読み手が、この社会の変容が、個人メディアとソーシャルメディアによるものだ、と考えるのは間違っています。2000年には、個人メディアやソーシャルメディアは普及していませんでした。つまり、主客が逆なんです。 
2000年くらいから、個人メディア、ソーシャルメディアを受け入れる素地が社会にできた、ということなんですよね。そういう、個人が発信するメディアを受け入れるだけの素地が、いつのまにかできていたということなんです。ただ、それにインフラやテクノロジーが追いつかなかっただけで。

広告の話にあてはめると、広告に戻るということなんだろうと思います。
脱広告ではないはずなんです。
なぜなら、脱広告は、メディアの変容にあわせた
“狙い過ぎ”の広告に過ぎないとも言えるからです。 


そして、さらに個人的な感覚としては、その人間ですら根本的なところはそんなに変化していないと思っています。


アメリカでは、1620年に英国からの移民が始まってから

現在までの約400年の間の19の世代を類型化した研究があります。
それによると、19の世代は4つの元型に分類することができ、
同じ順番で続いているという研究が発表されている。


よくよく考えてみると、自分達世代(ちなみに86世代です)は、
上の世代から、「物を買わない」と批判されますが、
その上の世代って、青春時代をバブルで過ごされた方で、
多分浪費だ、無駄遣いだの上の世代に批判されたんではないかと。


また「草食男子」と皮肉交じりの言葉がありますが、
草食に見えるが、実は肉食という「ロールキャベツ男子」という言葉も存在し、
そう考えると、案外やっぱり根本的には変わっていなかったりするのではないかと
思います。


以前「ソーシャルメディアの価値がキャズムを超える為に必要な事」という
ブログでも書かせて頂きましたが、
ソーシャルメディアがまだそんなに世間的に認知されていなかった時期は、

次男坊的にというか、のびのび自分達の主張を主張していく事が
世の中における1つの価値だったと思います。

ただいよいよ世間で注目され始め、
世間という枠の中での責任も大きくなってきた事で、
長男的な役割を果たさねばならなくなったきたのが

今なのかなと思っていていて、
『変化』を強調しないというのも大事な要素ではないかなと。


今回のブログを書くにあたり、
バーソンマーステラの熊村さんの「キャズムは越えない、越えられない」は
改めて考えさせられ、かなり影響をうけました。
最後にその中で、印象に残っているフレーズを抜粋させて頂きます。



日本の場合、特に “ソーシャル メディア マーケティング” の、初期の事例の多くが “ソーシャル メディアに対してポジティヴな一人のユーザーの活動” によって “結果的に作られた” モノだったりするわけで。その一人のユーザーが最終的に語り部として “ソーシャル メディア マーケティング” という形で広めていってしまっているから、ソレを咀嚼するにあたって、どうしてもソーシャル メディアに対してポジティブな姿勢であること、というのが前提になってしまうのは否めないし、また、ソレがゆえに、ソーシャル メディアそのものを
ポジティブなモノとして捉えるコトができない、あるいはソーシャル メディアそのものを今一つ理解できない人からしてみると、まったく別世界の出来事のように聞こえてしまうコトにもなりかねないと思うのだ。


追記
この記事を書く事に対して、色々なご意見を頂きましたが、
自己否定が伴わないevangelizeに価値があるとはボクは思いません。
それは
evangelizeではなくforceだと思います。
本当に価値を伝えていく為には、
今回の記事の理屈が通っているかどうかという点は疑問が残りますが、
少なくとも自己の立場を否定する機会は必要だと思います。

2011年8月8日月曜日

共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」

SIPSが発表されて以降、「共感」がキーワードになり、
色々なセミナーを聞いていてもほとんどで

「共感」については触れられていたりします。


自分自身そういう流れはagreeだし、こういう流れが
一時的なものにならないようにしていきたいと思っています。



ただ正直に言うと、「共感」というワードが
安直に語られ過ぎではないかと思ってます。

そもそも共感という感情は、感情の発生起源を辿ると、
最後発の感情で、
そう簡単に発生する感情ではなかったりします。


少し蛇足になりますが、共感という感情の発生起源について、
能書き垂れてみます。

生態系で極めて弱い立場にあった人間が、
自分が生き残る為の手段として「社会」を形成するという選択をしました。
ただ元々自己の生存と子孫を残すことしか考えていなかった人類にとって、
自己犠牲の伴う社会を形成するという行為は苦痛そのものでしかなく、
そこで罪悪感や共感という感情を覚える事で、
ようやく社会を形成出来る事が出来るようになりました。



謂わば社会を形成する上で、「やむを得ず」「仕方なく」生まれた感情で、
なかなかそう簡単に共感なんてしてもらえない。


更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、
共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、
頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、
一時的なお金の流れしか形成されず、
コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい。


じゃぁ共感をキーワードにしたプランニングをするなって言いたいのかというと、
決してそんな事はなくて、寧ろ上記のようなハードルがあっても、
尚そこに挑むべきだと思っています。



自分が個人的に一つのモデルケースになると思っているのが、
ナイキの「ALL FOR JAPAN ~走ろう、日本のために~」
の企画です。



ナイキでは「NIKE+」というサービスを展開しており、
これは走行距離や位置を計測・記録するセンサーを
シューズやリストバンドで身に付けることで自分の走った
時間、距離などを記録し、ネット上に公開することができるサービスで、
このNIKE+の特性を生かして、ランナーの走行距離1マイルにつき、
1ドルをナイキが義援金として寄付するという企画です。
この企画のイイなって思っているところは、
生活者が品定めする際に感じる価値(value in exchange )の先にある、
シューズを実際に使用する事による価値(value in use )を
ユーザーに任せっきりにするのではなく、
サポートする仕組みが出来ていて、
そこの仕組みの中で共感の長期記憶化に挑戦している点です。


前述したように共感という感情は、
長期記憶に結びつきづらく、忘れられやすい。
であれば、つながり続けて、接点を持ち続る事で、
長期記憶化すれば良いのですが、これが結構難しい。
でも今回の企画は、見事に共感という感情の長期記憶化に
成功しているんじゃないかと思っています。

ただvalue in useの課題になるのは、
如何に将来の価値を具体的に描かせる事が出来るか?だと思っています。
人間は「1ヶ月後の1000円より、今日の500円を選ぶ」生き物で、
より近い将来の利益に強く動機付けられ、
どうしてもvalue in exchangeの価値が優先されてしまいます。
如何に両方の価値をバランスよく提示出来るか。

結局なんだかんだで課題を残した形になり、
はっきりとした解決策を提示出来ないままで終わってしまいますが、
「共感なんてそう簡単にされるもんじゃないし、長期記憶にもなりにくい」
この前提の上で、なおどうしたら共感してもらえるのか、
そしてそれが長期化出来るかに挑戦していきたいです。

2011年7月29日金曜日

ツール開発で感じた、ソーシャルメディアの効果測定の功罪 





エンゲージマネージャーという
ソーシャルメディアの統合管理ツールの開発に携わっています。

今回のツールは、
効果測定の部分に関して、相当力を注いでいるのですが、
その中でこれって大事じゃないかなという事を走り書きしてみました。

今回一番意識した事は「なんの為の効果測定なのか」
という事です。
なぜ効果測定をするのかと言われれば、それはシンプルに
「ネクストアクションを意思決定」
するためという事だと思います。

WEBって本当にすごくて、数値化しようと思えばほぼ何でも
数値化が出来るんだなと今回痛感しました。
(エンジニアさんって本当にスゴイです。本当に)
身近なところで言えば、Facebookのインサイトとか。

ただそれによって
「測定の為の測定」が蔓延しているんじゃないかと。
データを集める事で満足して、意思決定が出来ていないケースが多々あって、
であれば、意思決定につながらない数値化は
混乱を招くだけなので​、寧ろ不要なんじゃないかと。

でも一方でネクストアクションを導くための​数値化はもっと必要だなと。
そこは試行錯誤しながらでも数値化しないといけないかなと。
個人的には人のパーセプションチェンジの数値化には
今後も永遠のテーマとして取り組んでいきたい。

「なんでも数値化すればいいって
もんじゃない」というご指摘は多いです。
ただそれではソーシャルメディアの本質的な取り組みをしたいけど、
数値化出来ないマーケティングは会社の方針で取り組めないという
広告主の方を永遠に助けれない。
そこをなんとかするのはエージェンシー側の義務だと思います。
それにパーセプションチェンジがソーシャルメディアの得意領域だとしたら、
純粋にそれを証明したい。

だからこそソーシャルメディアに取り組む「目的」が重要だなと改めて。
目的さえ決まれば、数値化すべきもの、
もしくは数値化しては「いけないもの」は自ずと導きだされるはず。
それに目的がすっぽり抜けてると、
「ファン数◯◯◯人集まったけど、これって結局何なの?」っていう
話になり、
全ての効果測定が意味をなさなくなる。
だからKPIだけでなく、KGIの測定と、KPIとKGIの結びつけが必要。少なくとも現時点ではそう思っています。

ソーシャルメディアのように、顕在ニーズの刈り取り施策ではない分野の
効果測定の分野は未だまだ研究の余地があり、
KGIなり、ロジックっぽい所はこれから新たな概念が出てくるのかもしれないけど、
「意思決定」の為の効果測定という所は
これからも大事にしていきたいな
って思います。