2012年2月19日日曜日

新たな可能性を「バズワード」にしないために、「できないこと」を明確にする

ゲームのちからで世界を変えよう会議 に今週末参加をしてきた。

ゲーミフィケーションに関するセミナーというか、
トークセッション、ディスカッションの場で、
「ゲーミフィケーション - <ゲーム>がビジネスを変える」
の著者である井上明人氏が登壇し、
ゲーミフィケーションに非常に明るく、
こんな自分に仲良くして頂いているNHK出版の久保田さん
司会をされるという、
個人的にはムネアツなイベントだったので、
即申し込みをさせて頂きました。

ただ今だから明かしますが、
正直タイトルを見た際に、
ある一抹の不安を抱いた中での参加でもありました。

会は非常に白熱した非常に濃い会だったと思っています。
自分が捉えていたゲーミフィケーションは

とても一面的側面でしかなく(はい、自分の悪いクセです)
アカデミックな視点で考えた時に、
未だまだ色々な可能性があるなと思いました。

この辺りはまた別の機会でまとめられればと思いますし、
きっと久保田さんがいつものように500はてブされるような
素晴らしいまとめをしてくれると思いますww

ただゲーミフィケーションの可能性を
様々な視点で考え議論が白熱する中で、
少し引いた眼でみているのも事実でした。

(会場にいらっしゃった方にはそう見えないかもしれませんがww)

それは先程の参加する前に感じていた一抹の不安

のことなのですが、
ゲーミフィケーションを「バズワード」にしないために、
「できないこと」を明確にするということも
議論すべきではないかな
ということ。



「ソーシャルメデイア」がバズワードになってしまっているのは
正直否定ができない事実だと思っています。ではなぜかと考えた時に、
「ソーシャルメデイアを魔法の杖」という認識を
広めてしまったこと
これが最大の要因と考えています


ソーシャルメデイアだけで売上が上がるなんてことはないし、
自分ごと、仲間ごと、世の中ごとの3フェーズで言ったら、
世の中ごとをソーシャルメデイアだけで実現するのは
不可能に近いと思います。


ソーシャルメデイアで実現できる事と言ったら、
うっすらと繋がり続けて、ニーズが顕在化した時の

純粋想起率の向上、企業好意度の向上、
友人への推奨意向の向上などなど、、、



この出来ること、出来ないことを明確にしなかったことが
「それっておかしいよね」と言われる
要因になったと考えています


今ゲーミフィケーションも
ソーシャルメデイア同様、バズワードになりつつある
と僕は認識していますし、セミナー会場も
そのような認識だったように感じています。


バズワードになってしてしまったソーシャルメデイアを、
それでもソーシャルメデイアの可能性を信じて、
正しい認識を広めようと必死で闘っている人もたくさんいます。
ただ認識をひっくり返すのは並大抵の努力ではありません。
だからこそバズワードになりつつあるゲーミフィケーションは、

何ができないのかを明確にするフェーズに
きているのではないかと感じました。


最後に同じセミナーに参加されていた
仲 暁子さんが印象的なツイートをされていたので、
ご紹介したいと思います



何事も鵜呑みにしないで批判的視点を持ちつつも、最後は受け入れるスタンスが大事だと思う。許容は多様性をうみ、全体を強くするから。



2012年1月24日火曜日

そもそもクチコミに、どのような効果があるのかを記憶の仕組みから考えてみる

最近食べログのやらせ投稿が全国紙に掲載されて以降、
自分のTL上では、ステマがバズワードのようになっていますが、
ステマと言われるリスクを背負ってまで、
そもそもレビューを肯定的にすることにどのような効果があるのか
その辺りを整理してみました

ただステマはダメ、絶対です。
下記で述べるような効果があることを理解したうえで、
だからこそマーケティングに関わる人間として、
より一層倫理をもって施策は実施していかないといけないと思っています

クチコミにどのような効果があるのかを検証した
下記のような実験があります

実験内容
ある映画について否定的な評価をしている
映画ファンに、映画評論家による肯定的なレビューを見せ、
読む前に持っていた意見を答えてもらうという実験をしました。
ちなみにこの実験では、
読む前に持っていた意見を答えるよう強調しています


実験結果
被験者の半数以上が、自分は肯定的な評価をしていたと回答
そして本人達は、評価を変えたことにすら気づいていません


この手の実験に対する批判として、
「評論家が肯定的なレビューをしているのに、
否定的なレビューをすることがストレスになって
被験者は意図的に回答を変えているのでは?」
という意見がありますが、答えはノーです

FMRIという脳内を観察できる装置で観察すると、
彼らは何の疑いもなく、自分は肯定的なレビューをしていたと
勘違いをしています


なぜこんな事が起こるのか
1つの要因として、脳の記憶の仕組みが
起因していると言われています。

人間の脳みそは、特定の事象に対して
全てを一括して記憶しているわけではなく、
例えばその事象に対しての肯定的な出来事、否定的な出来事を
別々で記憶しています(←本来はもっと細かく記憶しています)
そして上記の実験のように、
今目の前で肯定的な事象が発生すると、
記憶の中から肯定的な記憶を優先的に引っ張り出します。

つまり人の記憶は、何が記憶のトリガーになるか次第で、
「ある程度条件が揃えば」コントロール可能で、

肯定的なレビューもそのトリガーの役割を果たしています。

今いちピンとこないかもしれませんが、
身近なところでもこの現象はおこっています。

例えば、実家のお母さんに「早く結婚しろ」とか電話で小言を言われると、
そう言えばいつも勉強しろと口うるさかったことを思い出し、
一方で郷土料理を宅配便で送ってくると、
「あぁおふくろの卵焼きうまかったなぁ」とか、
いつも欠かさずつくってくれたお弁当のことを思い出すという具合でしょうか

そして仮に脳内に肯定的な記憶がなかったとしても、
肯定的な記憶を勝手につくりだしてしまいます。

例えば、Aさんが悩みを抱えて精神科に訪れ、
「幼児の頃、虐待を受けたのでは?」と示唆される。
すると、脳はそのような体験がなかったとしても、
そういった記憶を創造します。
そうすることで、悩みの原因が明確になり、前進できる可能性があります。
自分の生存率を高める為なら、
脳は喜んでウソの事実を創造します

※ただしある程度の悪いレビューは販促効果があるという話があるように、
ポジティブなコメントばかりの「つくられた」トリガーには
香ばしい匂いを察知しますし、smashmediaの河野さんが仰るように
ソーシャルメデイアによって、発言の重みづけができるようになれば
トリガーの効果は相対的には低下するのでは
ないかとも思います

なぜこのような記憶の仕組みになったのか
これは私達の先祖だった、類人猿の名残と言われています。
類人猿は厳しい弱肉強食の世界で生き残っていくために、
いちいち細かいことを分析せず、
複雑さを無視して、その場で判断することが求められました。
その方が生存の可能性を高めたからです。
特定の事象に対する全ての記憶を洗い出して、
より論理的な判断をする余裕はなかったと言われています


蛇足に次ぐ蛇足
もうタイトルから蛇足に蛇足を重ねていますが、
人間って実はそんなに進化していないってことを
最近ぼんやりと考えています
先程の記憶の仕組み然りだと思います。

類人猿時代の名残と言われる、
先程の記憶の仕組みの核をなす、
大脳辺縁系が1億年以上の歴史をもっているのに対して、
対照的に論理的な思考をする、
大脳新皮質の歴史は200万年。
未だにその名残が強く残っているのは当然なのかもしれません。

この辺りは書き始めるとまたやたら長くなりそうなのですが、
だからこそ日々変化し続ける現在において、
変わったことだけでなく、変わらなかったことに焦点をあてると、
実は不可解な消費者行動も理解できてくるのかもしれない
ぼんやーり思ってるので、
次回のブログでも書こうかなと思います

今回参考にした本はこちらです










2011年11月7日月曜日

「ソーシャルメディアコンサルタント」というワードが揶揄的な意味を含有する現状について



「ソーシャルメディアコンサルタント」という言葉・職業については、
これまでもなんとなく漠然と考えていましたが、
バーソンマーステラの熊村さんの一連のブログを読んで、
悔しいけど、現実の問題をズバリご指摘されて、
今一度改めて考え直したいなぁと。そして記録として残しておきたいなと。

つまり「ソーシャル メディア上でコミュニケーションを取る」というコトには長けていても、肝心の「マーケティング」に対する意識であったり、最低限求められるであろう知識や実践経験が伴っていないというケースが多いのではないかと思うのだ。つまり、現場レベルのオペレーションだけで「コンサル」をしてしまうから、ソコに必要な戦略であったりといった必要なモノがごっそりと抜け落ちたまま、言及されずに終わってしまっているように見えてしまう。

ソーシャル メディアについてコンサルするというシゴト より


「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンク出来ているか?
この熊村さんからの強烈な問いかけに対して、
自分は正直現時点では自信をもって「YES」と応えられないのが現実です。


では、そもそもマーケティングとは何か?
ボクなりの結論は「人を科学する」という事ではないかと思っています


気まぐれで感情に動かされて、非合理な判断もしてしまう「ヒト」という対象は、
どんな行動特性があるのか?
そこを科学した上で、論理的に価値を伝えても伝わらないヒトに対して、
そのような行動特性を逆に利用してして、どのように価値を伝え、
彼らのパーセプションを変えるのか?


難しく聞こえるかもしれないけど、実は僕達の身近で実践されていて、
家電量販店の20%ポイント還元然り、
マクドナルドで100円マックと高額ハンバーガーが販売される事然り、

最近突如として現れてきた感がある、ゲーミフィケーションという概念も
上記のような人間の感情や行動特性を巧みに生かしたゲームのメカニズム
を応用していく考えだったりなのかなと。


そうやって「ヒト」を科学していくことは、
「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンクさせる
ヒントになるのかなと思っています。


例えば、この仕事をしていると、頻出するキーワードに
「エンゲージメント」「共感」があるが、
熊村さんもご指摘のとおり、安直に使われている感は否めないと思っています。


これについては、以前共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」というブログでも、こんなことを書いてました。

そもそも共感という感情は、感情の発生起源を辿ると、最後発の感情で、そう簡単に発生する感情ではなかったりします。更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、一時的なお金の流れしか形成されず、コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい
それを分かった上で、それでも共感という感情に訴えねばならない理由は何か?
どのようなパーセプションを変えるために共感が必要なのか?
そこを考えるのがマーケティングなのではないかと思っています。


さらに、共感が生物学上発生しにくい感情なのであれば、
圧倒的な世界観を形成する必要があって、
その世界観形成にはソーシャルメディア「だけ」で完結しないケースも
当然でてくるだろう。
では、それに必要なものは何か?
そして、そこでソーシャルメディアが果たす「役割」は何か?
それもまたマーケティングなのではないかなと。



「ソーシャル メディア」と「マーケティング」の両者をきちんとリンクさせる
ボクなりの解は、ヒトを科学するですが、
これが正しいとは思っていないし、色々な解があって然るべきだと思っています。
もし、「それちゃんちゃらおかしいよ」「これもアリだと思う」など、
ご意見やご指摘がありましたら、
是非twitterFacebookにご意見を頂けると嬉しいです。

2011年10月24日月曜日

facebookが次の次の次くらいのF8で発表する内容はこんな感じドヤッ


関係者から話を聞いたとか、信頼できる情報ソースがあるとか、
そういったことは全くなく、もう完全に個人的な妄想です。
でも妙に自分の中では「そうなるんじゃないか」って思ってます。
いわゆる根拠の無い自信ってヤツです。

エクスキューズはこれくらいにして、
facebookが次に狙う領域はヒトが言語化できない思考の可視化

だと思っています。


今年のF8ではタイムライン等の機能が発表されました。
昨日の詳細等については他のブログに譲りますが、
熊坂氏はブログにて、タイムラインのことを以下のように表現しています。

これはもはや単なる「プロフィール」ではなく、自分の人生のストーリー、あるいはヒストリーそのものだ。好きな音楽、映画、テレビ、本、ゲーム、関連のある場所を記した地図などのアプリ、日々アップする写真やストーリーが、重要性に応じて配置される。それらのコンテンツは時系列にアーカイブされていき、スクロールダウンすることで、最後は生まれた時までさかのぼれるのだ。
マーク・ザッカーバーグが発表した新しいFacebook(2011 f8まとめ) 

今回のタイムライン等の機能が本格的に実装されたら、
過去を含めた言語化出来る人間の思考は、

ある程度の規模可視化出来るようになります。
そうなると、「もはや」次に狙う領域は、
言語化できない無意識の思考の領域しか
「残っていない」気がしています。

そもそも人間の思考のうち、自分自身が認識できる思考って

実は僅か5%で、言語化できる思考は、その更に5%前後。
要は人間の思考のほぼ100%は表層化されない無意識で、
この膨大な手つかずの未知の領域は、

DB化できればドル箱に化けるポテンシャルがあると思います。


なぜこの領域はドル箱のポテンシャルがあるのか?
例えばマーケティングリサーチ。
マーケティングリサーチには大きな落とし穴があって、

仮説に基づいて集められたデータは、
その仮説を肯定する結果にしかならないということです。


表層化される思考は、何が思考の顕在化の引き金になったかで
決まるので、例えば質問の配列・順序の違いによって
調査結果が全く異なるという現象は数多くあります。
つまり、人間の言語化できる思考に頼ってリサーチしているうちは、
リサーチャーの仮説が正しくない限り、
消費者インサイトは捉えることは不可能ということです。


そこで、もしFacebookが無意識の領域をDBとして手中に収めたとして、
マーケティング領域に関わる人が、
そのDBを欲しがらない理由がない気がしています。


そう考えると、無意識の領域は割とドル箱の領域であって、
認識・言語化できる思考を手中に収めつつあるFacebookが、
無意識の領域の可視化に挑戦することは、
結構自然な流れのような気がしてきていますドヤッ

2011年10月17日月曜日

事実を「つくりあげる」脳ミソとマーケティングの付き合い方


先ずは上の絵を見てください。何が見えますか?



おそらく愛しあう二人の男女が見えてくるのではないでしょうか?
しかし小さな子供がみると、9頭の(小さくて黒い)イルカが見えます。
なぜか?
それは理由は愛し合うカップルの概念が彼らの中にないからです


上記の例は、
「我々は、無意識のうちに、ある物事に関する判断をつくりだす際、
別の刺激に基づいた判断を用いる」現象を表す一例です。
この事をハーバード大学の物理学者のジョン・ダウジング氏は
このように表現しています。
どうやら私たちの視覚システムは、網膜へイメージを伝えるだけではなく、視覚的記憶や経験を統合して、世界を整合的に見るようにするようである
 そして、その別の刺激とは、必ずしも事実であるとは限らず、
脳が「勝手に」「つくりあげた」事実が刺激となることも多々有ります。

無意識に・・・
例えば偽薬の鎮痛剤を手術後に投与された場合、
偽薬投与をうけた患者の約50%が、本物の治療を受けた際と同じ回復をします。
これは患者の自己申告ではなく、生理的な状態を観察した結果です。

このような無意識の作用は現在研究が始まったばかりで、
捉えどころがないのが現実です。
しかし消費者は自分の経験(時には事実と異なる錯覚すら)という
取るに足らない情報によって、商品・サービスに付加価値を与えたり、
ブランドへの反応に影響を与えます。

事実消費者は自分の好きなブランドの飲料を口にしていると認識すると、
彼らはその消費経験に対して、口当たりの良さやリラックス感などの
追加的な価値を付け加えますが、所謂ブラインド・テストにおいては、
ブランド名が参加者の思考に影響を与えないため、
こうした価値は付加されません。

であれば、こういった無意識が、如何に意思決定に影響を与えるか、
デザインやロゴといった外観的手がかりが消費経験に与えるインパクト、
などなどを研究する価値はあるのではないかと思います。
(具体的な方法論については、鋭意研究中なので後日・・・)


2011年10月11日火曜日

「広告は引き算である」



「広告は引き算である」

昔、ある人から教えてもらった、言葉。
やっぱりこれだなと。

この1ヶ月近く、勝手に1人で考え込んで、もやもやして
ブログが書けなくなった先にたどり着いた答えが、
この昔、ある人から教えてもらった、この言葉でした。


「人はひとつの球しか受けきれない」
広告とかコミュニケーションに関わる人なら、
なんとなくどこかで聞いた事があるようなメタファー。

これってやっぱり真実だなと改めて思います。
なぜなら
「人間の根本は、そんなには変わっていない」
もっと言えば、人間は「進化したサル」に過ぎないから。


人間の思考プロセスの95%はサルとかその他の生き物とかと同じで、
何も考えず、遺伝子的が勝手に「反応」しているに過ぎない。
残りのたった5%で、熟考したり、人間を人間たらしめている。

つまり「人間は自分が考えている程高度な生き物ではない」
ということで、先程のメタファーだと、たくさんのボールを受けきれるほど
賢い生き物ではないという事なんだと思います。

少し蛇足になりますが、「人間は社会を形成した高度な生き物」
と言われる事がありますが、
人間が社会を形成したのは約600万年前で、
この600万年という期間は遺伝子の変種を含む進化の過程としては、
十分な時間ではないそうです。

だから1つの球を受けられるように、引き算しないといけないと思うわけです。
コミュニケーションにしても、商品そのものにしても、
基本足し算的な思考の世の中だからこそ。

それを体現してくれたのが、アップルであり、ジョブズだと思います。
日経トレンディの対談にもでてくるんですが、
彼らは、ファンクションではなく、「生活がこう変わる」という
「何を」変えたいかに徹した。
だからこそ、マウス然り、タッチパネル然り、徹底的に排除できた。
だからこそ、みんながエンジョイできる、人の拡張機能としての、
本当の意味での「パーソナル」コンピュータを開発できた。
ツール、道具としてのパーソナルコンピュータではなく。

みんな感動するものは感動するし、心に刺さるものはみんな刺さる。
多少の差異はあれど、根本的に共通するところは絶対にあります。
そういう根本というか、原始的なところを
徹底追求すればイイんじゃないかと。シンプルに。
寧ろそれが出来ていないから、分衆とかセグメントとか
難しいこと議論するんだと思います。
もっとシンプルに。引き算思考で。(自戒をこめて)

2011年9月18日日曜日

時代遅れの脳みその為の消費のクリエイティブに必要な事は、みんなトライバルメディアハウスが教えてくれた

どこかで聞いた事があるようなタイトルですが(笑)

人間の脳みそや人体って、「まぁ食ってはいけるよね」という
時代に形勢されて、
そこから本質的な所は変わっていなくて、
冷蔵庫に食べ物を保存する程、過剰にモノや金が余る事は
想定されてなかったから、
その余り物をどう使えば良いのか
分からなくなっているのが現在で、
だからこそ今「消費の」クリエイティブが
求められているのではないかと思っています。

流通や貯蓄の発明など、所謂「生産」の発明ではなくて。


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人間は本当にその頃から変わっていないのか?
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アメリカで「なぜリーマンショックが起こったのか」議論が起こった際に、結論の1つとして「マネーイリュージョン」と
結論づけられたのはその象徴だと思ってます。


 マネーイリュージョンとは何か?
たとえばインフレ率が2%で、お給料が3%上がると、1%の得
反対にデフレになったときに、
デフレで物価が3%下がったからお給料2%下げますと聞かされたら、
実質はまったく同じ1%の得なのに、世界中どこで実験しても、

前者が良いと答えてしまいます。

理屈ではわかっていても、人間の頭では、
本能的に給料が上がったほうがいいと考える。
脳にとって、直感を司る右脳にとって、「快か」「不快か」だけで、
理屈や計算が全く働かない状態で、

直感で物事やが判断されてしまう。だから、
サブプライムという人間の脳みそでは処理しきれない

複雑な金融商品が、「本能によって」取引されるという結果に
陥ってしまったと、結論づけられています。


これは石器時代の人間の判断基準とほぼ変わらなくて、
例えば動物の死骸が転がっていたとして、
「うまい肉が転がってる」と思うと脳が快感を感じるし、
「もしかしたら腐ってるかもしれなくて、そして死んでしまうかも」と思うと
脳が不快になる。結局両者のバランスで食うか否かの判断していて、
当時の思考回路とサブプライムを買う人間の思考回路は
さほど変わらないと言えるかと思います。

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脳みそは今の「余剰の時代」についていけない

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上記のような人間の思考回路が形成された当時は、
どんな時代かと言えば、150人位の集団を形成し、
全員の食料ぐらいはまぁなんとか確保できるよねっていう時代。
現代のように、冷蔵庫にものを保存する程食材が余るという事態を

想定していない構造になっています。
脳みそに感情があったとしたら、間違いなく混乱している状態。
だからこそ、今は消費の「仕方」のクリエイティブが求められてるんだと思ってます。


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消費のクリエイティブで必要なことは、みんなトライバルメディアハウスが教えてくれた
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消費のクリエイティブで必要なことの結論としては、
ミラーニューロンを働かせることなんじゃないかなって思います。

ミラーニューロンとは動作や感情をコピーすることができる

神経細胞の事で、簡単に言ってしまえば、相手の立場で考えられる神経。 今回の話で言えば、とことん消費者の立場で考えるという事かなと。

すっごい当たり前すぎる事ですが、
買う側の気持ちを忘れたヒトに、混乱している
消費者の脳みそを理解し、
購買させる仕組みを構築出来るはずがなくて、
これが忘れられている場面に遭遇する

機会が非常に多い気がしています。(自戒を込めて)
会社に入って始終、モノを売ることばっかりを考えていると、
モノを買う時の事を忘れるんじゃないかなと。



例えばFacebookページを立ち上げたいというご要望を頂いた際に、
「ファンと会話をしたい」という事を言われます。
ただ1人の消費者としての感覚で考えた際に、
自分がファンと言える商品・企業が果たして幾つあるか?

個人差はあるかと思いますが、ボク個人が思いつくのは「アシックス」くらい。

それも陸上に明け暮れていた時代、靴を特注をしていて、
その職人芸とも言えるプロフェッショナルな仕事ぶりを目の前で見ていたという
特殊な体験があったからこそ。
さらに仮にアシックスのFacebookページがあったとして、
そこで自分がアシックスについて会話をしたいかと言われると、そうとも限らない。

「では、そいいう低関与な消費者という事を前提にして
どのようなマーケティングコミュニケーションを考えるべきか」
そういう1人の消費者として当たり前の感覚を維持しながら、
マーケティングコミュニケーションを考える事。
トライバルメディアハウスに転職してもう直ぐ1年になるが、
この事は徹底的に教えてもらったと思います。
そしてそのことを忘れない為に、トライバルメディアハウス20訓の1つに
「人の二倍働き、人の二倍遊ぶ。全てが仕事で、全てが遊びである。」が
明記されていると、少なくとも自分はそのように考えています。

転職してもう直ぐ1年。最近頭でっかちと言われる事が増えてきたが(笑)
あくまで1人の消費者としての感覚を大事にしながら、
混乱する脳みそと対峙しながら、消費のクリエイティブに挑戦していきたい。
結構難しいテーマだと思いますが、だからこそこの世界がボクはすきです