2011年10月11日火曜日

「広告は引き算である」



「広告は引き算である」

昔、ある人から教えてもらった、言葉。
やっぱりこれだなと。

この1ヶ月近く、勝手に1人で考え込んで、もやもやして
ブログが書けなくなった先にたどり着いた答えが、
この昔、ある人から教えてもらった、この言葉でした。


「人はひとつの球しか受けきれない」
広告とかコミュニケーションに関わる人なら、
なんとなくどこかで聞いた事があるようなメタファー。

これってやっぱり真実だなと改めて思います。
なぜなら
「人間の根本は、そんなには変わっていない」
もっと言えば、人間は「進化したサル」に過ぎないから。


人間の思考プロセスの95%はサルとかその他の生き物とかと同じで、
何も考えず、遺伝子的が勝手に「反応」しているに過ぎない。
残りのたった5%で、熟考したり、人間を人間たらしめている。

つまり「人間は自分が考えている程高度な生き物ではない」
ということで、先程のメタファーだと、たくさんのボールを受けきれるほど
賢い生き物ではないという事なんだと思います。

少し蛇足になりますが、「人間は社会を形成した高度な生き物」
と言われる事がありますが、
人間が社会を形成したのは約600万年前で、
この600万年という期間は遺伝子の変種を含む進化の過程としては、
十分な時間ではないそうです。

だから1つの球を受けられるように、引き算しないといけないと思うわけです。
コミュニケーションにしても、商品そのものにしても、
基本足し算的な思考の世の中だからこそ。

それを体現してくれたのが、アップルであり、ジョブズだと思います。
日経トレンディの対談にもでてくるんですが、
彼らは、ファンクションではなく、「生活がこう変わる」という
「何を」変えたいかに徹した。
だからこそ、マウス然り、タッチパネル然り、徹底的に排除できた。
だからこそ、みんながエンジョイできる、人の拡張機能としての、
本当の意味での「パーソナル」コンピュータを開発できた。
ツール、道具としてのパーソナルコンピュータではなく。

みんな感動するものは感動するし、心に刺さるものはみんな刺さる。
多少の差異はあれど、根本的に共通するところは絶対にあります。
そういう根本というか、原始的なところを
徹底追求すればイイんじゃないかと。シンプルに。
寧ろそれが出来ていないから、分衆とかセグメントとか
難しいこと議論するんだと思います。
もっとシンプルに。引き算思考で。(自戒をこめて)

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