2011年7月29日金曜日

ツール開発で感じた、ソーシャルメディアの効果測定の功罪 





エンゲージマネージャーという
ソーシャルメディアの統合管理ツールの開発に携わっています。

今回のツールは、
効果測定の部分に関して、相当力を注いでいるのですが、
その中でこれって大事じゃないかなという事を走り書きしてみました。

今回一番意識した事は「なんの為の効果測定なのか」
という事です。
なぜ効果測定をするのかと言われれば、それはシンプルに
「ネクストアクションを意思決定」
するためという事だと思います。

WEBって本当にすごくて、数値化しようと思えばほぼ何でも
数値化が出来るんだなと今回痛感しました。
(エンジニアさんって本当にスゴイです。本当に)
身近なところで言えば、Facebookのインサイトとか。

ただそれによって
「測定の為の測定」が蔓延しているんじゃないかと。
データを集める事で満足して、意思決定が出来ていないケースが多々あって、
であれば、意思決定につながらない数値化は
混乱を招くだけなので​、寧ろ不要なんじゃないかと。

でも一方でネクストアクションを導くための​数値化はもっと必要だなと。
そこは試行錯誤しながらでも数値化しないといけないかなと。
個人的には人のパーセプションチェンジの数値化には
今後も永遠のテーマとして取り組んでいきたい。

「なんでも数値化すればいいって
もんじゃない」というご指摘は多いです。
ただそれではソーシャルメディアの本質的な取り組みをしたいけど、
数値化出来ないマーケティングは会社の方針で取り組めないという
広告主の方を永遠に助けれない。
そこをなんとかするのはエージェンシー側の義務だと思います。
それにパーセプションチェンジがソーシャルメディアの得意領域だとしたら、
純粋にそれを証明したい。

だからこそソーシャルメディアに取り組む「目的」が重要だなと改めて。
目的さえ決まれば、数値化すべきもの、
もしくは数値化しては「いけないもの」は自ずと導きだされるはず。
それに目的がすっぽり抜けてると、
「ファン数◯◯◯人集まったけど、これって結局何なの?」っていう
話になり、
全ての効果測定が意味をなさなくなる。
だからKPIだけでなく、KGIの測定と、KPIとKGIの結びつけが必要。少なくとも現時点ではそう思っています。

ソーシャルメディアのように、顕在ニーズの刈り取り施策ではない分野の
効果測定の分野は未だまだ研究の余地があり、
KGIなり、ロジックっぽい所はこれから新たな概念が出てくるのかもしれないけど、
「意思決定」の為の効果測定という所は
これからも大事にしていきたいな
って思います。

2011年7月25日月曜日

mixiが抱える課題の解決のヒントは、Google+のサークルにあるのではないか





いきなり本題ですが、mixiが抱える課題とは何か。
それはtechwaveの湯川さんが指摘されているように、
ソーシャルグラフの拡大と居心地の良い空間を保っていく事が
トレードオフに成り得ることだとボクは考えています。


mixiはこれまで友人間で分かるニックネーム上で共有が行われる事で、
居心地の良い空間を保ってきました。
だからこそ先日のナイキIDのようなソーシャル広告が成立していました。


一方でmixiがFacebook化を進めている事は誰の目にも明らかな事実であり、
それは即ちソーシャルグラフの形成を友人間だけに留まらせず、
より実世界に近い人間関係をインターネット上にも反映させる事を意味していて、
当然これまでは共有出来た事が、「共有出来ない」ケースもでてきて、
居心地の悪さを感じるユーザーもも出てくると思います。


このトレードオフの課題の解決のヒントは、
Google+にあるのではないかと思っています。
Google+は設計の発想が、ソーシャルグラフのより緻密でデリケートな形成に
フォーカスされてい​て、サークルの中だから成り立つ発言を共有出来る点は、
友人間で分かるニックネーム上で共有がされる、「プライベートグラフ」を標榜する「今の」mixiに非常に似ているのかなと。

ちなみに、先日ColorがGoogleからの160億円での買収提案拒否という
ニュースが流れましたが、
弱いキズナの象徴でもあるcolorを買収しようとした事で、

Facebookと目指しているところが違う、単純な繋がりだけを示した「ソーシャルグラフ」ではなく、
関係性を定義した上で繋がる「リレーショングラフ」目指す事​が
明示されたのではないかと思っていて、
より「プライベートグラフ」に近いものを感じました。


Google+は友人を追加する時に、同時に関係性を定義する事を
デフォルトにする事によって、サークルだからこそ出来る共有を
産み出そうとしていますが、
このサークルの設計は、
mixiにとって色々とヒントになるんではないかと思います。


もちろんGoogle+のユーザーとmixiのユーザーのリテラシーの差は明らかで、
その点は考慮したUIが必要だと思いますが、
UIは結局慣れの問題かなと思っているので、
個人的にはマルパクリでもいいんじゃないかと、
全くの当事者ではないからこその楽観的な考えでいたりします。
(だって今回のインターフェースは、マルパクリしてもイイくらい使いやすいもん)

2011年7月20日水曜日

インタラクティブ広告領域の受賞企画を見て感じた、「クラフト」としての広告の価値


3連休と有給を利用して、過去のインタラクティブ広告領域の受賞企画を
ぶっ通しで見て感じた事を書き落としてみたいと思います。
誤解を恐れずに言えば、クラフトとしての広告の価値
考え直したいって思いました。

広告って戦略的に論理を積み上げて完成させる事も重要だと思います。
多分それで負け戦をする事は少なくなるんだと思います。
でも、それだけだと「やっちゃった感」というか、
理屈抜きの単純な面白さに欠けるのかもって感じました。


賛否両論だと思いますが、広告は結局ユーザーの評価を得たもん勝ちで、
企画としての整合性だったり、戦略性は
業界内の内輪で、後から盛大に盛り上がればいいと思います。

(もちろん、その議論によって成功のエッセンスを抽出し、
生かすことはとっても重要だと思います)
そういう点では、クラフトとしての広告について考えた方がいいんじゃないかなって。



もちろんクラフトとしてっていうのは、広告の商業としての役割を果たすっていう
大前提があっての話だと思います。そして、やらかしちゃった感っていうのは、
戦略とか理論を理解している人が、
理屈を超越した無邪気さから産まれるものなのかもって思います。



だから戦略なんていうのは、その人達、作り手の人の無邪気さを
束縛するものじゃいけなくて、
寧ろ後押しするためのもの
でなきゃいけないんじゃないかって。


その点、自分はスッゴい反省をしなきゃいけなくて、

そういう作り手の人をもっと尊敬しなきゃって思いました。
なぜなら「無邪気さ」は、作り手の方しか生み出せないものだから。
なのに、自分がやってた事って真逆で、
こうあるべき、これはNGという事を押し付けていた気がします。

反省。反省。以上自戒エントリーでした。

2011年7月16日土曜日

ソーシャルメディアの価値がキャズムを超える為に必要な事

ループスの加藤さん講談社の戸塚さんお会いさせて頂いて、
感じた事、改めて考えた事を、刻みこむ意味を込めて、アウトプットしようと思います。

この業界に身を置いていると「キャズムを超えたい」という事をよく聞きます。
ただ個人的には、キャズムの壁は実は自分達で作っているような
気がしていています。

例えば位置情報がそうなのかなと思うのですが、
どんどん進化していて、colorやwondershakeが提供する
新たなvalueに自分も含めすごくワクワクします。

ただ今これらの話題について盛り上がっている人達というのは、
ソーシャルメディアなるものや「シェア」という価値観だったりに
基本ポジティブというかどっぷり浸かっている人達であって、
これらの価値観がいまいち理解出来てない人にとっては
もうそれこそ地球の裏側の話をしているような感覚なのではないかと
思っています。

バーソンマーステラの熊村さんが書かれているように、
今盛り上がっている人達にはかなりバイアスがかかっていて、
でも、そのバイアスに気づかないで、そのバイアスを半ば強要しているのが
日本の現状なのかなと思っています。
実際、初期事例の多くが、“ソーシャル メディアに対してポジティヴな一人のユーザーの活動” の結果であるため、そのユーザーが語る “ソーシャル メディア マーケティング” とは、ソーシャル メディア自体を非常にポジティヴに捉えない限り、成立しないような形であるコトが多い。
新しい価値観をどんどんアウトプットする「旗振り役」「先導役」は
今後も必要なのだけども、
今後は新しい価値観と、そこになんとなく違和感を感じている人達の
調整役だったり場所が必要だと思っています。

その1つの場所に成り得るのが、講談社のソーシャライズだと思っています。
「お前はそんなに偉い人間なのか」というお叱りを受けることを覚悟で、
偉そうにソーシャライズの価値について考えた時に、
「講談社」という看板だと思っています。

これまでソーシャルメディアについて言及されてきた
コミュニティメディアというと、極端な物言いをすると、
読者も書き手もポジティブなバイアスがかかっていていたように思えます。
(そういうものがダメとかいうつもりは全くなく、
寧ろ刺激を頂ける場所として非常に価値あるメディアだと思っています)


ただソーシャライズは講談社という看板がある事で、
幅広い価値観の読者がいるのではないかと思っていて、
そうすると書き手はその多様な価値観を意識する事になり、
読者も新たな価値観に対して、少し身近に感じるのではないかと
思っていたりします。


ソーシャルメディアがまだそんなに世間的に認知されていなかった時期は、
次男坊的にというか、のびのび自分達の主張を主張していく事が
世の中における1つの価値だったと思います。


ただいよいよ世間で注目され始め、
世間という枠の中での責任も大きくなってきた事で、
長男的な役割を果たさねばならなくなったきたのが今なのかなと思っていて、
そんな状況下でポジティブなバイアスを意識する事、させる事は
これから1つの課題であり、テーマであり、
それが出来る事が1つの価値に成り得るのではないかと思っていて、
それが出来た時に、ソーシャルメディアは次のステップに
進めるのではないかと思っています。


(うぅ随分偉そうな物言いをしてしまった・・・)

2011年7月13日水曜日

ソーシャルメディアガイドライン・炎上対策マニュアル策定の際に特に気を付けておきたい事



最近ソーシャルメディア「マーケティング」以上に、
ソーシャルメディアが発展したことに伴うリスク対策についての

関心の高さを日々感じていて、自分なりにリスク対策において
重要な点をまとめてみようかなと。
策定方法についてはループス直人さん
の素晴らしいおまとめがあるので、
そちらを参照ください
(いつも思うんですが、直人さんのまとめはすごく分かりやすいです)

■如何に思惑の違う部署を巻き込み、策定のプロセスに参加して頂くか


ガイドライン等でご法度なのは所謂対処療法で策定してしまうことです。
理由は対処療法的にまとめると、頻繁に更新が必要になり、
百科事典のような分厚さになるからです。

1年前にtwitterがブームになり、今年はfacebookが一部でブームになり、
今はLinkdinもギークの間では話題になりつつあります。
これだけブイブイこられ、その都度対処療法でガイドラインを更新していたら、
多分半永久的に更新が必要になるでしょうし、百科事典のように分厚くなった
ガイドラインきっと読まれないと思います。少なくとも、100%私は読みませんw
なので、どのようなソーシャルメディアが台頭してきても、
一貫して重要になるような事をまとめた、心得集のようなものになりがちです。


でも、これまたポンと渡しただけでは読まれないのが実情です。
当たり前すぎることが書かれていて、
「そんなの分かってるよ」ってスルーされがちです。



だから如何に策定のプロセス参加してもらい、
自分達で作った感を持
ってもらい、

なぜその条文が盛り込まれているのか理由や背景を
腹の底
から理解してもらう事が重要だと思います。

その1つの方法がループスの直人さんも書いていますが、
リスクを具体的に洗いだしていく事だと思います。



そして思惑が異なる部署を横断して参加頂く事も重要だと思っています。
これまでご支援をさせて頂いると、
積極的にソーシャルメディアに参加していきたいと思っている部署、

出来ればソーシャルメディアなんて無くなればいいのにと思っている部署が
くっきり分かれます。

ちょっと大変かもしれませんが、部署間の意見調整などをしながら策定をしないと、
どこか特定の部署だけで策定したガイドラインは、
特定の部署にしか浸透しないガイドラインになってしまいます。



なぜ色々な部署に浸透する事が重要かというと、
特定の部署だけが炎上のリスクを抱えているのではなく、
全ての部署において炎上のリスクを抱えているからです。

米国の炎上の約1/3は、ソーシャルメディア外の活動、
例えばオフラインでの顧客サポートの悪さやリコール問題などが、

ソーシャルメディアに飛び火をして、炎上しています。
ソーシャルメディアの運用に関わる部署だけが理解をしていても、
炎上は発生してしまいます。



■禁止事項を並べるだけではなく、攻めの活動を!


ソーシャルメディアはリスクもありますが、ソーシャルメディアに参加する
メリットもたくさんあります。

ASSIOMAの大元さんの事例は象徴的ですが、
個々の従業員の情報発信が、個人の信頼獲得につながり、
個人の信頼が企業の信頼につながっていくような事が現実に起こっています。
米国では、ペプシやフォードのように、
従業員が個人でソーシャルメディアアカウントを運営し、
信頼を獲得していた事で、
炎上を最小限に食い止められた事例もあります。


ソーシャルメディア利用を禁止する事はほぼ不可能に近いです。
であれば、個々の従業員が情報発信する意義を認め、
それを積極的に支援することによって、お金では買えない、世の中の「信頼」を勝ち取るためのガイドラインを考えたほうが、
企業にとっても、個人にとっても
幸せな未来が来ると思います。


このような攻めのガイドラインの事例が、
先程の大元さんのブログの最後にまとまっていますので、

ご参照頂けるといいかなと思います。


最後にsmashmediaの河野さんが非常に印象的な事を書かれていたので、
ご紹介して、締めさせて頂きたいと思います。


問題を起こす社員はどんなポリシーやルールを定めても起こします。いま企業が大事にしなければならないのは、会社のポリシーがわからず二の足を踏んでいる社員に積極的にユーザーと関わってかまわないことを保証してあげることです。彼らの背中を押してあげることです。

2011年7月6日水曜日

なぜ今コーズマーケティング×ソーシャルメディアなのか


一昔前からそこそこ注目されていたワードでしたが、
震災以降「コーズマーケティング」がある種のバズワードのようになり、
あまり詳しいわけではなかった自分としては、
言葉が一人歩きしている感じがして、気持ち悪さみたいなものを感じていたので、
ちょっと一度なぜ今コーズマーケティングが必要なのかを
立ち止まって考えてみたいと思い、メモ書き的にまとめてみました。
(メモ書きなので、論理的に書くとか一切無視です。。。。)


震災以降、自粛ムードが世間的に広がっていきましたが、
この自粛ムードをマーケティングコミュニケーションで解決しようとなった時に、
意識すべきことは、人間が意識してコントロール出来る感情に
訴えかける事だと思っています。

人間には根本的にコントロール不可能(難しい)感情と、
比較的コントロールが容易な感情があります。
前者は不安や恐れなどネガティブな感情です。

これらの感情は人間の祖先が、社会的動物になる前、
生態系の中では極めて弱い立場にあった時代、
危険に直面すれば恐怖を感じてすぐに逃げられるように、
そして、そういった危険を事前に察知できるように不安を感じ、
不安を感じたら安全な場所に隠れるために生まれた感情です。
いわば自分が生き残るために発生した感情であり、
コントロールが極めて難しい感情です。

一方で比較的コントロールが容易な感情とは、
人間が社会を形成するようになってから生まれた感情、
例えば罪悪感などの社会的感情と呼ばれる感情です。
他のひとたちに比べて自分だけ良い目をみることに罪悪感を感じる。
そのために、人間は困っている他人を助け、
他人と協力したいと思うようになり、社会を形成する事が可能になりました。


ここで、自粛ムードが広がる心理状態を無理くり計算式のようなものに
当てはめると・・・
自粛=不安+罪悪感+αみたいな感じでしょうか


この式が正しいと仮定した時、
マーケティングコミュニケーションが注力すべきは
罪悪感の解消という事になります。
もちろん不安の解消も出来ればベストだと思いますが、
相当なクリエイティブとコストが必要になり、現実的ではないかと思います


被災地が悲しい感情に包まれている中で、
自分達だけが贅沢をするのは罪悪感を感じる。


そんな罪悪感を解消する1つの手段が、
P&Gの「50人分のいいねが集まると、1家族分の洗濯物を洗濯します」のような
コーズマーケティングです。




日本におけるコーズマーケティングの事例を知りたい方はクラッチさん
コーズマーケティング・ジャパンを参照下さい。


コーズマーケティングがもたらすのは罪悪感の解消だけではありません。
それは感情を伴う認知を獲得する事で、
長期記憶として脳内に保存される事です。


いいねを押したり、購買を行う事で被災地支援を行う事が出来れば、
多少なりとも、喜びとか何らかの感情が伴うと思うのですが、
こういった感情を伴う記憶は長期記憶として脳内に保存されやすくなります。


長期記憶とは、脳が忘れてはいけない記憶と判断した記憶の事で、
これと相対するのが、短期記憶と呼ばれるもので、
人間の記憶の殆どはこの短期記憶です。


一度長期記憶に保存されると、それに関連する情報も
長期記憶として保存されやすい構造になっているので、
コーズマーケティングで感情を伴う認知を獲得出来れば、
その後のマーケティング活動も容易になるはずです


では、なぜ今コーズマーケティングとソーシャルメディアが
一緒に語られる事が多いのか?
この点に関してはさとなおさんの以下の言葉が全てを語っていると思います。



なんというか、ソーシャルメディアって「関与する(コミットする)タイプの人がつながることができるプラットフォーム」なのだと思う。そこに当事者意識が生まれ、社会が実際に動いていく。ソーシャルメディアの一番の意味はそこにあると思う。
もちろんブログ時代も、関与する生活者はいた。
でもそれは限られたインフルエンサーたちだけだった。大半の人は「私、ブログで発信するなんてとてもできない」と受け手に回った。
でもソーシャルメディアでは、たとえばRTも「いいね!」も「私はこれ、いいと思う」という「発信」となる。つまり「関与したいけど発信できない人」が簡単に発信する手段を得た。そして関与する(したい)生活者が大勢つながった。当事者意識同士がつながり、他人事が自分事になり、社会が実際に動き始めた。
この「関与する生活者」が集まる装置こそがソーシャルメディアだ。

ソーシャルメディアって、結局そこにあるのはソーシャルグラフ「だけ」であり、
ソーシャルグラフにいるのは感情を持った人間「だけ」で、
感情が伴わないものは結局広がらない場所なんだと思います。
ただ逆に、感情が伴う情報は関与したい人がどんどん繋がっていく場所であって、
感情が伴いやすいコーズマーケティングを行うのに適した場所なんだと思います。


まとめると、以下のようになりました。
自粛ムードをマーケティングコミュニケーションで解消したい時、
 マーケティングコミュニケーションが注力すべき罪悪感の解消に
 適した施策である
コーズマーケティングで感情を伴う認知を獲得出来れば、
 長期記憶として保存され、その後のマーケティング活動も容易になる
感情が伴いやすいコーズマーケティングと、
 関与したい人がどんどん繋がるソーシャルメディアは相性が良い

ド素人の分析ですので、詰めが甘い点あれば、是非ともご指摘下さい