2011年8月22日月曜日

コスト効率の悪い「共感」という感情をマーケティングに生かす方法を、記憶のメカニズムから考えてみる

以前共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」というエントリーを書かせて頂いたところ、色々なご意見を頂き、またある貴重な機会も頂けそうで、ちょっとした転機になりました。ありがとうございます!

そのエントリーでこんな事を書かせて頂きました。

共感という感情は、謂わば社会を形成する上で、「やむを得ず」「仕方なく」生まれた感情で、なかなかそう簡単に共感なんてしてもらえない。
更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、一時的なお金の流れしか形成されず、コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい。

今回は上記の点を踏まえた上で、
コスト効率の悪い「共感」という感情をマーケティングに生かす方法を
自分なりに考えてみました。

そのヒントは記憶のメカニズムにあると思っています。
記憶のメカニズムの特徴の中に、以下の2つが有ります。


人間の記憶は、出来事の全ての情報やそれに伴う感情が
ひとまとめになって保存されているわけではない

感情が伴う出来事があった場合、出来事のファクトと、
その時経験した感情は異なるファイルに区分けされます。
中学時代のクラスメイトに街で偶然出会い、顔は直ぐに分かったのに、
名前が直ぐ出てこないのはこの記憶のメカニズムが原因です。
そして人間の記憶は、感覚刺激を受けることをきっかけにして、
ファクトとは別に保存されている感情が喚起され、
それに引きずられて関連する記憶が検索されます。



人の記憶は既に保存されている記憶の内容に
関連性が高い情報ほど記憶を上書き保存し、

上書き保存される記憶ほど忘れてはいけない記憶、
「長期記憶」として
脳が認識する
「過去の自分が今の自分をつくっている」という、
80年代を思わせるようなキザな台詞は、脳科学的には事実です。
裏をかえせば、何の記憶もない新しいものを記憶に残す事は

相当困難であるとも言えますが。。。


余談ですが、マーケティングでよく使われるライフサイクル理論は、
ブランド調査、特に長寿ブランドの場合、と整合性が合わない事が
70年代に証明されていますが、上記の記憶のメカニズムが

原因と言われています。


上記2つのメカニズムから、共感という感情の生かし方としては、
記憶の上書き保存の「1つの」材料、
感覚刺激を受け、記憶を呼び起こす際の「1つの」窓口と考え、
必ずしも「共感」を起点に考える必要はないと思っています。

なぜなら何の記憶もないところから、脳内に記憶を残すには、
人間のもっと根本的な感情に訴えかけた方が、
感情としても発生しやすいし、忘れてはいけない記憶として
脳に認識されやすいからです。


ちなみに人間の最も根本的な感情は、不安や恐怖、嫌悪感といった
Negativeな感情ですが、
これらの感情をマーケティングに生かせる商材、場面は限定的です。
なので、これらの感情の次に根本的な感情である
楽しいとか面白いといった感情に初めは訴え、
その後記憶の上書き保存の1つの材料、
記憶を呼び起こすための別の窓口として共感に訴えるというのが
現実的なのではないかと思います。
その点でゲーミフィケーションはもっと研究したい分野です。




何か少しでもイメージしやすい事例ないかなと探してみたら、
Donate this word to UNICEFという面白い事例がありました。

UNICEFの教育プログラムへの認知度を高め、
寄付を集めることを目的にスタートしたプロジェクト。
Google Chrome のスペルチェック機能を使って,スペルミスがある度に”Donate this word to UNICEF”
メニューから寄付を行うことができるというもの





事例については正直結構ツッコミどころが満載だと思いますが、
そういったツッコミや、この事例って面白いんじゃない?というものがあれば、
是非教えて頂けると嬉しいです!


追記
twitterをぼんやり見ていたら、リンクトインなどのビジネスSNSに詳しい
同僚の@taniyangが以下のような事をつぶやいていました。

学術的には共感はされづらい点はありますが、
クリエイティブを少し工夫すれば、全然変わるものだなぁ考えさせられました


Facebookで「向上心がある人って素敵」って書いたら20件近くいいねされた。これを「向上心ないやつってだめだね」って書いてたら共感を呼ばずいいねされなかったと思う。言い方一つで共感を呼べるかどうかが変わってくる。こうやっていかに共感を生むかがこれからの時代で重要だと思う。

2011年8月16日火曜日

企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、ソーシャルメディアコンサルタントのせい!?

先日@Capoteさん企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、40才のマーケティングディレクターのせい?が印象に残り、過去の自分のツイートやブログを読んだりしながら、考えを巡らせ、せっかくなのでその痕跡を残しておこうかなと。

@Capoteさんの記事は消費者と直接つながることが容易になり、
コミュニケーションができるようになった今、
セールスからカスタマーサポート、商品開発や改善のリサーチが
ソーシャルメディアである程度可能となり、
企業のあらゆる側面でマインドセットの更新が求められているが、
企業の役員が状況を理解してないからではないのか?という内容です



色々と考えを巡らせて、少なくとも現時点での考えは、
(すみません。未だ考えがまとまっていないので、
多分かなり流動的です)
企業が未だソーシャルメディアに手つかずなのは、
『変化』を強調するソーシャルメディアコンサルタントにも
原因があるのではないかと。


いや、実際変化は起こっているのだと思います。
ハーバードビジネスレビューでも「タッチポイント」の重み付けが変わってきている
という話が書かれたりしています。
ここでは詳細は割愛させて頂きますが、
smashmediaの河野さんのブログがとても参考になります。


ただ、メディアの変化、テクノロジーの変化、人の変化、という事を
強調し過ぎていないか。
(自分への問いかけでもあるのですが・・・)
そこを強調するが故に、
40才のマーケティングディレクターは手をつけられないのではないか
(人間は変化を嫌う生き物なので)



糸井重里さんとお仕事をされている池本孝慈さんのブログで、
メディアやテクノロジーが社会を変容させるのではなく、
メディアやテクノロジーは社会の変化を形にしたに過ぎない。という趣旨の
とても考えさせられる記事があったので、一部抜粋してご紹介しま


作曲家で音楽プロデューサーの小室哲哉さんがこんなことを語っていました。
小室 あえて狙わないほうがいいと思いますよ。以前は、プロの作曲家なら、“狙い過ぎ”の曲ってすぐわかったんです。「サビはCMのタイアップ用で、絶対あとからAメロとBメロつけたな」とか。それが今は“一億総ジャーナリスト状態”で、一般の人もそういうことに気づいている。何かに似ているとか、何にインスパイアされたとか、「そんな細かいところまでわかるの!?」って驚かされます。だからごまかせない。当然ですけどね。90年代までは一般の人が“通”になっているとは感じなかった。みんなが驚いてくれる、喜んでくれるカードを'80年代に僕はいっぱいためてたんです。
ーーーー今、そういうストックは? 
小室 ない‥‥っていうと、何もないのかよ!ってなっちゃいますけど(笑)、今は一度ゼロに戻って作ってるっていうことです。僕はもう自分らしさについて考えているだけ。聴いてくれる人がジャーナリスティックに総評してくれればいいなと。ブログやツイッターでも‥‥‥
引用では、これからの小室さんの抱負として、ブログ、ツイッターが言及されています。 だからといって、読み手が、この社会の変容が、個人メディアとソーシャルメディアによるものだ、と考えるのは間違っています。2000年には、個人メディアやソーシャルメディアは普及していませんでした。つまり、主客が逆なんです。 
2000年くらいから、個人メディア、ソーシャルメディアを受け入れる素地が社会にできた、ということなんですよね。そういう、個人が発信するメディアを受け入れるだけの素地が、いつのまにかできていたということなんです。ただ、それにインフラやテクノロジーが追いつかなかっただけで。

広告の話にあてはめると、広告に戻るということなんだろうと思います。
脱広告ではないはずなんです。
なぜなら、脱広告は、メディアの変容にあわせた
“狙い過ぎ”の広告に過ぎないとも言えるからです。 


そして、さらに個人的な感覚としては、その人間ですら根本的なところはそんなに変化していないと思っています。


アメリカでは、1620年に英国からの移民が始まってから

現在までの約400年の間の19の世代を類型化した研究があります。
それによると、19の世代は4つの元型に分類することができ、
同じ順番で続いているという研究が発表されている。


よくよく考えてみると、自分達世代(ちなみに86世代です)は、
上の世代から、「物を買わない」と批判されますが、
その上の世代って、青春時代をバブルで過ごされた方で、
多分浪費だ、無駄遣いだの上の世代に批判されたんではないかと。


また「草食男子」と皮肉交じりの言葉がありますが、
草食に見えるが、実は肉食という「ロールキャベツ男子」という言葉も存在し、
そう考えると、案外やっぱり根本的には変わっていなかったりするのではないかと
思います。


以前「ソーシャルメディアの価値がキャズムを超える為に必要な事」という
ブログでも書かせて頂きましたが、
ソーシャルメディアがまだそんなに世間的に認知されていなかった時期は、

次男坊的にというか、のびのび自分達の主張を主張していく事が
世の中における1つの価値だったと思います。

ただいよいよ世間で注目され始め、
世間という枠の中での責任も大きくなってきた事で、
長男的な役割を果たさねばならなくなったきたのが

今なのかなと思っていていて、
『変化』を強調しないというのも大事な要素ではないかなと。


今回のブログを書くにあたり、
バーソンマーステラの熊村さんの「キャズムは越えない、越えられない」は
改めて考えさせられ、かなり影響をうけました。
最後にその中で、印象に残っているフレーズを抜粋させて頂きます。



日本の場合、特に “ソーシャル メディア マーケティング” の、初期の事例の多くが “ソーシャル メディアに対してポジティヴな一人のユーザーの活動” によって “結果的に作られた” モノだったりするわけで。その一人のユーザーが最終的に語り部として “ソーシャル メディア マーケティング” という形で広めていってしまっているから、ソレを咀嚼するにあたって、どうしてもソーシャル メディアに対してポジティブな姿勢であること、というのが前提になってしまうのは否めないし、また、ソレがゆえに、ソーシャル メディアそのものを
ポジティブなモノとして捉えるコトができない、あるいはソーシャル メディアそのものを今一つ理解できない人からしてみると、まったく別世界の出来事のように聞こえてしまうコトにもなりかねないと思うのだ。


追記
この記事を書く事に対して、色々なご意見を頂きましたが、
自己否定が伴わないevangelizeに価値があるとはボクは思いません。
それは
evangelizeではなくforceだと思います。
本当に価値を伝えていく為には、
今回の記事の理屈が通っているかどうかという点は疑問が残りますが、
少なくとも自己の立場を否定する機会は必要だと思います。

2011年8月8日月曜日

共感がキーワードの今だからこそ「共感なんてそう簡単にされるもんじゃない」

SIPSが発表されて以降、「共感」がキーワードになり、
色々なセミナーを聞いていてもほとんどで

「共感」については触れられていたりします。


自分自身そういう流れはagreeだし、こういう流れが
一時的なものにならないようにしていきたいと思っています。



ただ正直に言うと、「共感」というワードが
安直に語られ過ぎではないかと思ってます。

そもそも共感という感情は、感情の発生起源を辿ると、
最後発の感情で、
そう簡単に発生する感情ではなかったりします。


少し蛇足になりますが、共感という感情の発生起源について、
能書き垂れてみます。

生態系で極めて弱い立場にあった人間が、
自分が生き残る為の手段として「社会」を形成するという選択をしました。
ただ元々自己の生存と子孫を残すことしか考えていなかった人類にとって、
自己犠牲の伴う社会を形成するという行為は苦痛そのものでしかなく、
そこで罪悪感や共感という感情を覚える事で、
ようやく社会を形成出来る事が出来るようになりました。



謂わば社会を形成する上で、「やむを得ず」「仕方なく」生まれた感情で、
なかなかそう簡単に共感なんてしてもらえない。


更に、不安や怒りという人間本来の感情に比べて、
共感という感情は、人間の長期記憶になりにくく、
頑張ってプランニングして、共感してもらえるコンテンツが出来てたとしても、
一時的なお金の流れしか形成されず、
コストパフォーマンス的に割に合わないというケースになりやすい。


じゃぁ共感をキーワードにしたプランニングをするなって言いたいのかというと、
決してそんな事はなくて、寧ろ上記のようなハードルがあっても、
尚そこに挑むべきだと思っています。



自分が個人的に一つのモデルケースになると思っているのが、
ナイキの「ALL FOR JAPAN ~走ろう、日本のために~」
の企画です。



ナイキでは「NIKE+」というサービスを展開しており、
これは走行距離や位置を計測・記録するセンサーを
シューズやリストバンドで身に付けることで自分の走った
時間、距離などを記録し、ネット上に公開することができるサービスで、
このNIKE+の特性を生かして、ランナーの走行距離1マイルにつき、
1ドルをナイキが義援金として寄付するという企画です。
この企画のイイなって思っているところは、
生活者が品定めする際に感じる価値(value in exchange )の先にある、
シューズを実際に使用する事による価値(value in use )を
ユーザーに任せっきりにするのではなく、
サポートする仕組みが出来ていて、
そこの仕組みの中で共感の長期記憶化に挑戦している点です。


前述したように共感という感情は、
長期記憶に結びつきづらく、忘れられやすい。
であれば、つながり続けて、接点を持ち続る事で、
長期記憶化すれば良いのですが、これが結構難しい。
でも今回の企画は、見事に共感という感情の長期記憶化に
成功しているんじゃないかと思っています。

ただvalue in useの課題になるのは、
如何に将来の価値を具体的に描かせる事が出来るか?だと思っています。
人間は「1ヶ月後の1000円より、今日の500円を選ぶ」生き物で、
より近い将来の利益に強く動機付けられ、
どうしてもvalue in exchangeの価値が優先されてしまいます。
如何に両方の価値をバランスよく提示出来るか。

結局なんだかんだで課題を残した形になり、
はっきりとした解決策を提示出来ないままで終わってしまいますが、
「共感なんてそう簡単にされるもんじゃないし、長期記憶にもなりにくい」
この前提の上で、なおどうしたら共感してもらえるのか、
そしてそれが長期化出来るかに挑戦していきたいです。